デジタル症候群の方向けのロック入門
デジタル症候群とは、デジタルサウンドのファーストフードというべき邦楽に慣れすぎたため、計算可能なデジタルな要素(音遣い、コード、トラック数など)が中心になり、グルーヴやサウンドから始まる深い次元が分からなくなってしまう症状である。
ここでは細かくは説明しないが、メロディ偏重主義≒構造中心主義≒デジタル症候群である。
メロディ(オブリガードや副旋律含む)やコード(ボイシングやバッキング含む)、声部(パート)やその基本的な音色、曲の展開に至るまで、ようするに楽譜ソフトで表現できる要素を構造部分と呼ぶとする。
音楽の良し悪しを判断するにあたって、これらの構造部分は50%以下の決定要因でしかないと言われると納得できるだろうか?
納得できないあなたはまだ耳が完成しておらず、おそらくデジタル症候群である。
この状態は人生がもったいないので、早いうちの改善を推奨する。
デジタル症候群の改善にはロックの入門が使える。
ロックは「グルーヴやサウンドから始まる深い次元」を楽しむジャンルの一つであり、それが他ジャンルよりも分かりやすいキャラクターを持っているからだ。
ここでいうロックとは本場のロックのことであり、日本にはほとんど存在しない。
間違ってもRADWINPSやらは一切の関係がない。(むしろ、ここでいうロックの逆の存在のデジタルサウンドである)
さらには、ヘヴィメタルやポストロックやメロコアやミクスチャーロックなどといった、ロックを脱ロック化された80年代以後のものも対象外と考えていただきたい。
ちなみに、本記事は簡単にロック史もおさらいすることもできるので、普通にデジタル症候群でないロック初心者にもメリットのある記事となっている。
ロック史を要約するということ
ロック史を簡単にまとめるというのも、非常にやっかいである。
どのようにまとめたところで「〇〇が不足している」などというクレームがあるだろう。
とはいえ、諸説あるというような含みのある言い方をしていれば、初心者に混乱を与えるだけである。
ここはあえて、わたしの独断と偏見による、デジタル症候群の治療を意図した初心者向けのロック史を提案するしかないのだ。
ではさっそくいってみよう。
わたし流にいうと、ロック史の重要な本流の流れとは、以下の通りである。
- 1950's: ロックの誕生
米国において、ブルースなどのブラックミュージックが白人社会に流入し、ロックが誕生する。(チャック・ベリーからエルヴィス・プレスリーへ) - 1960's: ロックの可能性の模索
ビートルズがデビューし英国のロックが世界を席巻したり、ジミ・ヘンドリックスによるギタープレイの革命が起こったり、とにかく忙しく成長する黄金期。
ビーチボーイズとビートルズが争うように実験的名盤を作ったり、ドアーズや初期ピンク・フロイドなどようなサイケロック、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどのアート嗜好、キング・クリムゾンなどのプログレの始まり…などと、ロックの様々な可能性が研究された。 - 1970's前半 :英米での競争とロックの発展
60'sに築き上げた豊な土壌のもと、英米が争うようにロックが発展していくもう一つの黄金期。
英国を中心にハードロック(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープなど)、プログレッシブ・ロック(キング・クリムゾン、イエス、ELP、ジェネシス、ピンク・フロイドなど)などのジャンルが育まれた。
米国もそれに負けじと、エアロスミス、AC/DC、キッスなどのハードロックの人気バンドが登場する。 - 1970'後半: ヘヴィメタルの礎
レインボーが名盤『Rising(虹を翔る覇者)』を発表。
これが(ハード)ロックとヘヴィメタルの境界線というべき作品であり、ここに到達してしまったのが一つのロックの進化の限界点とする。
※パンクロックも勃興するのだが、わたしはこのジャンルの評価を検討しているところなので省く。
ブルースを基軸としていたグルーヴィーなロックは、様々な可能性が模索され発展してった末に、脱ブルース化・脱ロック化が進み、80'sには骨格(グルーヴ)レベルでクラシック寄りのものとなり、グルーヴが希薄化し「ヘヴィメタル」となってしまう。
加えて80'sの好景気と資本主義との連携の促進により、メタルもLAメタル/グラムメタルに代表される産業ロック的なものが主流となり、さらにはポピュラー全体が非常にバブリーな分かりやすいものがばかりになっていく。
*"「ヘヴィメタル」となってしまう"と述べたものの、別軸でメタルはメタルでわたしは好んでいる。
*なお、このロックが脱ロック化され産業化していく流れに、「産業ロックがロックをダメにした」と異を唱えたのが90'sのニルヴァーナである。
この流れをまずはしっかりと理解しよう。
どのように学習するべきか?
結論からいうと、ロック初心者はビートルズとレッド・ツェッペリンの主要アルバムを順を追って理解せよということになる。
ビートルズを追えば60'sの主要な流れが追えるし、レッド・ツェッペリンを追えば70'sの主要な流れが追えるからである。
ただし、その理解のためにはこの2つのバンドだけを聴いても難しい。
というのも、これらのバンドとその時代の前後背景や他のバンドの作品との差異など、すなわち「文脈」が重要だからだ。
そこでわたしが提示するのは、以下の学習手順である。
- 本記事をきちんと読み進める。(知識とイメージが定着するまで何度も)
これにより、ロックの基本的な流れとイメージを掴む(掲載動画は必ず見る) - 今後挙げるビートルズの入門記事を参考に、ビートルズの名盤を順を追って聞きこむ
- 今後挙げるレッド・ツェッペリンの入門記事を参考に、レッド・ツェッペリンの名盤を順を追って聞きこむ
それでは学習手順1であるところのロック史についてはじめていこう。
ブルースから始まった
ロック史を語るにはロックから語り始めると意味が分からない。
ロックの前提、ロックが誕生するに至った礎がなくては。
今あるポピュラーミュージックというのは、白人社会への黒人文化の流入、その化学反応によって生まれたジャンルである。
その根底にあるのがブルースというジャンルであり、ロックの元となったジャンルである。
Ten Long Years / B B King & Eric Clapton
シンプルで曖昧なコード進行、けだるくどこまでも演奏をループできる終わりなき旅、明るいのか暗いのかわからない両義的な感じ、絶妙なピッチ(半音の半音)で白人社会の音階とは異なる世界観、こういったものが特徴である。
ところで、ブルースの良さを理解するのは現代日本人にはハードルが高い。
実際のところ、わりと最終的に理解できるようになるのがブルースだと思ってもらってもよいだろう。
もし、あなたがブルースの良さがすぐにわかってハマったのならば、相当の才能があるので今すぐ楽器をやって欲しいと思うほどだ。
従って、ここではその良さは理解できなくてよい。
ここでは、こういうジャンルがロックの礎(否、その後のJPOPも含めた全ポピュラーまでにも影響)として在ると言う事実を理解することだ。
ロックンロールの誕生
チャック・ベリーはロックの元祖とされることが多い。
彼らがブルースなどの可能性を模索し発展させるなかでロックの基本系が生まれた。
白人のなかでもそれを真似するものが続々登場し、どうにか身に着けることに成功したものも現れた。
最初の人気白人ロッカーこそが、かのエルヴィス・プレスリーである。
Jailhouse Rock(監獄ロック) / Elvis Presley
エルヴィスは抜群のリズム感を持っており、当時まだ白人の多くがバックビートに対応できていなかったなか、新たな時代のカリスマとなった。
一言で言えば、身体的で本能的な黒人ミュージック文化と、客体的で学術的な白人ミュージック文化が出会って融合し、とんでもない新文化が誕生したわけである。
これが以後の世界を作ったといってよいほどに。
舞台は英国へ
英国のリバプールでビートルズが結成されるという歴史的大事件が発生。
デビューするやいなや、凄まじい勢いで英国じゅうを席巻していく。
ジョン・レノン(Vo. Gt.)、ポール・マッカートニー(Vo. Bs.)、ジョージ・ハリスン(Gt. Vo)、リンゴ・スター(Dr. Vo.)という最強の4人。
彼らは全員が、様々な楽器演奏・作曲・作詞・編曲・サウンドプロダクション…とにかくマルチな能力を持っており、それゆえ豊で幅広い作風が可能だった。
Help! / The Beatles
『Help!』はいつの時代にきいても、これぞ王道といえるような聴きやすく心地よいフォーキーなロックだ。
ところで、ビートルズは「分かりやすく簡単なロック」と誤解している人がいまだに多いのだが、そんなものとは全く異質なバンドである。例えば、サウンドプロダクションへのこだわり、ハードロックの礎となるような要素、サイケデリックな要素、プログレッシブ・ロックに繋がる要素など、さまざまな可能性を実験し成長していったバンドで後のあらゆるロックの可能性をすでに提示していた。
しかし、心地よいハモリが特徴のフォーキーなロックという基礎イメージを破壊することはしなかったため一貫性がある。
ビートルズはロックの発祥である米国にも進出し、米国をもまたたくまに虜にした。
さらには、英国でローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスなどといったバンドが人気を博して世界に広まり、もはや英国ロックは世界を支配する勢いになった。
一方、米国ではボブ・ディランやビーチボーイズなどが活躍した。
Sympathy For The Devil(悪魔を憐れむ歌) / The Rolling Stones
「なぜ初心者に提案するストーンズ体験が"悪魔を憐れむ歌"なんだ他にもっと分かりやすいものがあったろう」とツッコまれるかもしれないが、これでよい。
聴いての通りこの曲にはサビらしいサビが無いうえ、曲がいつ終わるのかもよくわからず延々と同じ展開が続いていく。
JPOPで定められた分かりやすい骨格(Aメロ~Bメロとだんだん盛り上がっていき、サビで最高潮に達し分かりやすい快楽を保証しご提供します、という産業製品)はここでは失われている。
この感じに慣れておこう。
サイケデリックとジミヘン
さらには、ギター業界全体の大事件であるジミヘンの登場もおこる。
Voodoo Child / The Jimi Hendrix Experience
今聴いても圧巻の一言である。
現代からしてもこのグルーヴとサウンドは超絶技巧であり、同じ領域に到達できたロック・ギタリストはいないと思われる。
純粋なテクニックだけでいっても、当時は類を見ない圧倒的なものだったという。
全てのギタリストはジミヘンにひれ伏し、彼に憧れたといっても過言ではない。
ジミヘンは米国出身だが、英国に渡って活躍し、わずか27歳の若さで謎の不審死を遂げて伝説となった。
また、ジミヘンといえばドラックのイメージも強い。
ロックンローラーといえばドラックとアルコールとセックスのイメージがあるが、それはこのころに確立し始めたものである。
ドラックによる覚醒はロックに影響を与え、そのサイケデリックなイメージを表現するサイケデリック・ロックと呼ばれるジャンルも登場する。
ドアーズ、フラック・ザッパ、初期のピンクフロイドなどが該当する。
Astronomy Domine(天の支配)/ Pink Floyd
シド・バレットが在籍していたころのデビューアルバム収録の名曲。
同じワントーンがひたすら続き、SFチックで浮遊感のある狂った世界観だ。
このサイケデリックなサウンドは、プログレッシブ・ロックと呼ばれるようになったフロイドとはまた別の層から未だにカルト的な人気があり、絶大な評価を得ている。
ドラックの影響は幅広いもので、「お利口さん」なイメージで売り出したビートルズにも及ぶ。
ジャニス・ジョップリンやエリック・クラプトンなんかもドラックに影響されたロックンローラーのイメージの筆頭である。
Move Over / Janis Joplin
これぞロックンロールというべき凄まじい歌声だ。
彼女の歌声は後世に多大な影響を及ぼし、有名どころではロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)の歌唱に強く影響を与えている。
3大ギタリスト(エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック)が在籍したヤードバーズや、エリック・クラプトンが在籍したクリームなどもジミヘンに影響を受けたミュージシャンである。
White Room / Cream
ギターはかのエリック・クラプトンである。
タイトルのイメージ通りの静謐な質感を讃えており、見事な名曲である。
アート化するロック
舞台を米国に戻そう。
ポップアートで知られる大御所、画家アンディ・ウォーホルはヴェルヴェット・アンダーグラウンドというロックバンドをいたく気に入った。
たんにジャケットを担当するというだけのレベルでなく、ウォーホールは本格的にプロデュースし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはカルト的な人気バンドとなった。
60'sの後半は、このようなロックとアートの交流は次々と繰り広げられていくこととなり、ロックは事件的になっていく。
ウォーホールによるこのジャケットはあまりにも有名。
正直、今聞くとそこまでの衝撃は無いのだが…。
実験的といえば、ラテン要素をロックに取り入れたカルロス・サンタナ(Gt.)も米国で登場する。
Evil Ways / Santana
ラテンのリズムと哀愁にロックのポップセンスとブルージーさが加わっている。
サンタナはいつの時代にも適応することができ、いつも廃れることがないのが凄いところである。
ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)は、ビートルズの『ラバーソウル』に感化されて『ペット・サウンズ』をリリースする。
この作品はブライアン・ウィルソンの独走でもあり、メンバーからは反発があったものの、ロックのオールタイム名盤ランキングで1位になることが常であるほどの名盤に仕上がった。
Wouldn't It Be Nice(素敵じゃないか) / The Beach Boys
『ペット・サウンズ』の1曲目。
フィル・スペクターの影響から、「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれる音像であり、とにかくサウンドが凄い作品である。(当時の他のポップ/ロックのものと比較してみてほしい)
『ペット・サウンズ』は母国である米国では(ビーチボーイズにしては)売れ悩んだものの、英国では大ヒットを記録し、その衝撃は英国じゅうを揺らがせた。
ポール・マッカトニー(ビートルズ)も衝撃を受けた一人であり、ビートルズも負けじと実験的な作品を作成する。
そうして完成した『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は架空のバンドの公演がテーマとなっているコンセプトアルバムであり、非常に先進的な傑作であり、今でもロックの歴史に燦然と輝いている。
Strawberry Fields Forever / The Beatles
本曲は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録する予定だったが外れることとなったものだが、同時期であり近い作風である。
ジョン・レノン作曲の作品で、彼が幼少期に遊び場にしていたStrawberry Fieldという孤児院での記憶がモチーフになっているという。
デモをメンバーに聞かせた段階で、あまりの美しさに誰も言葉を発することが出来なかったという逸話が残っている。
夢見心地な浮遊感もありながら、戦災を思わせるダークな展開を迎えるビートルズ屈指の名曲だ。
ジャズ要素のロックへの導入はソフト・マシーンやキング・クリムゾンなどが試み、後のプログレッシブ・ロックの礎となった。
特にロバート・フリップ(Gt.)率いるキング・クリムゾンの登場は大事件であり、ロックの歴史を変えてしまう。
21st Century Schizoid Man(21世紀の精神異常者)/ King Crimson
中盤のジャズ要素全開の間奏バトルの白熱も見事だが、イントロの重々しさと狂気感は後のヘヴィメタルにも影響を与えている。
70'sのハードロックの幕開け
60's後半に、ブラック・サバスの『黒の安息日』、ビートルズの『Helter Skelter』、キング・クリムゾンの『21st Century Schizoid Man』などと非常にハードなロックのアイデアが提示されてきた。
これらはハードロック/ヘヴィメタルの元祖と呼ばれており、実際にその流れを汲んで70'sにもなると、ハードロックがジャンルとして確立していく。
代表的なバンドはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、そして日本では無名のユーライア・ヒープなどだ。
ディープ・パープルは伝説のギタリストであるリッチー・ブラックモアが率いるバンドであり、ハードロックの帝王である。
さらに、バロックの要素を大体的に取り入れていること、分かりやすくかっこいいリフなどの印象的なアイデア等から、今のヘヴィメタルの原型ということができる。
激しくメンバーチェンジして今もなお活動を続けている。
Black Night / Deep Purple
リッチー・ブラックモア(Gt.)のクラシカルだがしっかりとブルーススピリットのあるギター、イアン・ペイス(Dr.)のお手本のようなロックドラム、イアン・ギラン(Vo.)のダイナミクスコントロールの素晴らしいハイトーンボーカル、今みても優れたパフォーマンスだ。
もうひとつのハードロックの帝王にも触れなくては。
レッド・ツェッペリンはハードロックという括りで語れないほど、圧倒的に幅広い音楽性を誇るが、基本的にはハードロックに分類される。
ロックドラムの神ジョン・ボーナム(Dr.)、3大ギタリストのジミー・ペイジ(Gt.)、ハードロック歌唱のパイオニアであるロバート・プラント(Vo.)、影の立役者ジョン・ポール・ジョーンズ(BS.)という無敵の布陣。
Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を) / Led Zeppelin
のっけから印象的なリフ、歌の入りの「You need coolin'~」のバツグンのタイムとニュアンスのクールさは鉄板。
(デジタル症候群にかかっていない)海外の若者のリアクターをみていると、ここでもうノックアウトされるようだ。
曲が進むに従って民族性が増し、ツェッペリンの唯一無二のグルーヴィー・ワールドが展開される。
実は69年の曲だが、ツェッペリンのハードロックとして完成されすぎているのでまず理解すべき名曲だ。
全盛期の70年代と到達点
70年代は一言で言えば、大海賊時代とでもいうべきロックの全盛期である。
その荒波はロックだけにとどまらず、他のジャンルにまで飛び火し、ポピュラーミュージックの全盛期を作り上げた。
米国では、エアロスミス、キッス、AC/DC、ドゥービー・ブラザース、スティーリー・ダン、イーグルス、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、カーペンターズ、アース・ウィンド&ファイア…などの伝説的アーティストもこの時期である。
きりがないのでいくつかに絞って紹介しよう。
What's Going On / Marvin Gaye
優しいメロディと、シンプルにして非常に美しいジェームス・ジェマーソンのベースラインが特徴。
EM7のコードに対して6度(テンション13度)を強調したアプローチを堂々ととっており、この作曲者を上書きしてより高次元に推し進めようとするセンスはジャズ屋っぽいものだ。
ジェームスはローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第1位になったこともあるほどで、ポピュラーにおける重要なベーシストである。
We've Only Just Begun / Carpenters
カレンの歌声はどの作品でも唯一無二だが、本曲でも絶妙な胸声(本来は男性が得意な低音成分)を聞かせてくれる。
コーラスが心地よく、とくにサビ前でのロングトーンで伸ばしたまま♭Ⅱ度に着地する箇所の民族感は美しい。
これはよくある並行短調の同主長調への転調で、そのまま転調として扱いサビが繰り広げられ、展開の仕掛けがうまい。
サビでも盛り上がりがひとしきり終わった後の静けさが素晴らしく、この緩急の具合がこの曲を名曲にしている。
Aja / Steely Dan
陰影のある色彩感と大人の深みを持った名曲。
ジャズ業界からスティーブ・ガッド(Dr.)とウェイン・ショーター(Sax)という2つの伝説を連れてきており、クオリティに多大に影響している。
スティーリー・ダンは大御所のミュージシャンに対しても、納得できるまで何日も拘束して何回も弾かせるという厳しい人ととして有名だったが、ガッドのドラミングについては珍しく1発OKを出したという。
なお、アウトロは関係者全員がガッドのドラムに魅入って何もできなかったテイクがそのまま使われている。
本曲が収録された同名アルバム『Aja』は、評論家など有識者からはポピュラーの歴史における最高傑作と称される。
英国では、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、ユーライア・ヒープ、クイーン、エルトン・ジョン、T-REX、デイヴィッド・ボウイなどが人気を博した。
ここにプログレッシブ・ロックの五大であるピンク・フロイド、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ジェネシスも加わる。
欧州でも、スコーピオンズ、シン・リジィ、マイケル・シェンカー、ゲイリー・ムーアーなどが活躍し、英米外のロックも産声をあげている。
このように70'sは非常に潤沢であり、間違いなくポピュラー全体の全盛期だ。
ロックはポピュラー全体をもまきこみながら進化し、ついにその進化の到達点が訪れる。
それは、レインボーの『Rising(虹を翔る覇者)』の発表である。
レインボーは、ディープ・パープルでから脱退したなリッチー・ブラックモアが75年に結成したハードロックバンドだ。
ロニー・ジェイムス・ディオ(Vo.)、コージー・パウエル(Dr.)、リッチー・ブラックモア(Gt.)という最強の布陣であり、ロックボーカル・ロックドラム・ロックギターそれぞれの分野での伝説のプレイヤーの3人が集ったかたちとなる。(この時代は三頭政治時代と呼ばれる)
4番バッターばかり揃えて逆に弱いチームになったということもなく、彼らは奇跡的な相性だったようで、リッチーがディープ・パープル時代からやりたかったロックとクラシックの融合のイメージを真に完遂するに至った。
Light in the Black / Rainbow
クラシカルなギターリフ、ダークな歌メロ、冷めたようなグルーヴで疾走するのがたまらないスピードチューン。
そして、冷めた温度感のまま到達する中盤の間奏は注目。
ディープパープルを想起させるシンセソロ~メタルの定番のようなユニゾン~ブルージーなギターソロ~フレーズがクラシカルになっていくのとともにKeyも加わりバンドアンサンブルとなり、定番のリフに戻る展開。
ターンアラウンドで同じパターンのフィルとキメが入るのが効果的で、この間奏はひたすらトリップさせられる。
レインボーが『Rising(虹を翔る覇者)』で到達したグルーヴとサウンドは奇跡のようなもので、ロックとクラシックの融合(ヘヴィメタル化)と同時に、ブルースを基調としたロックンロールのグルーヴのどちらをも持っている。
つまり、(ブルージーでグルーヴィーな)ロックと(クラシカルでメカニカルな)メタルの中間地点・臨界点ということもできる。
この後におこる進化は、ロックは脱ロック化していく流れだった。
80'sは産業的なポピュラーの全盛期であり、ヘヴィメタルが開拓され、さらにそれがキャッチーになり産業ロックと揶揄されることとなる。(90'sではニルヴァーナを筆頭にそんな80'sの反省が行われる)
ロックを「ブルースを基調とする黒人文化と白人文化の奇跡的融合」と定義すると、ロックがロックだった時代はレインボーあたりで幕を下ろすのだった。
残念ながら、(ブルージーでグルーヴィーな)ロックと(クラシカルでメカニカルな)メタルの両立というテーゼにおいて、レインボーに追従できるバンドは現れることはなかった。
ロックが(一言で言えば)ソウルを失い、ヘヴィメタルに変わっていく過程で、リスナーの解釈はどんどんデジタルなものとなっていったように思う。
ヘヴィメタルがクラシック化し、ブルースの持つ絶妙なグルーヴとフィールを失い、記号論的な解釈に閉じ込められてしまったのだ。
こうなってくると、ヘヴィメタルは数学的な限界に晒され、デジタルな範疇での限定的な進化しか望めなくなってしまう。
実際にヘヴィメタルの進化はゼロ年代をすぎると停滞してしまい、「コスプレした可愛い日本の女の子がヘヴィメタルをプレイする」などの見かけ上の展開ばかりが目立つようになる。
これは、デジタル化が終焉を招くことの良い例となっており、今後の様々な業界を占っているようでもある。
二次元化する邦楽シーン
デジタルグルーヴ化
今や邦楽シーンのさまざまなアーティストを聴くと、その殆どがグルーヴを感じさせないデジタルなリズム感であることが顕著である。
※尚、話をシンプルにするために、以後の前提を四拍子とする。
デジタルなリズム感とはどういうことか?
1・2・3・4の拍すべてのリズムの次元での解釈、いわばビートの解釈(オンビート・オフビート)が殆ど存在せず、まるでパルスのように同じように刻むビートなきビートだということである。
拍のビートの解釈がないので、「1・1・1・1」だとか、せいぜい「1・0・0・0」のビート感である。(1がオンビート、0がオフビート)
以後、これをデジタルグルーヴと呼ぼう。
演歌や昭和歌謡を聴くとデジタルグルーヴかといえばそうでもなく、1・3にオンビート(2・4がオフビート)な日本的グルーヴがある。
クラシックは同じように「1・3のリズム」と言われるが、同じグルーヴではなく、クラシックはよく「てんぷ~らのリズム」と呼ばれるグルーヴであり別物である。
洋楽と言われるような海外の主要ジャンルでは、ブラックミュージックの登場以後、バックビートと一般に呼ばれるビートが絶対的な基盤として存在する。
これは海外のブルースやジャズやフュージョンやファンクの方々が完璧に身に着けているのは当然のことながら、Led ZeppelinやAerosmithなどのロック系、Stevie WonderやBruno Marsなどのポップ系に至るまで、基本的に全員がマスターしている。
日本では洋楽の影響化のもと、それを輸入して邦楽シーンが作られていったのだが、そこで取り入れることができなかったものこそが、このバックビートである。
日本のアーティストの99%はバックビートができない。
この事実はきわめて問題である。
これについて、サザンオールスターズ、ミスチル、Mrs.Green Apple、Adoなどが出来ていないと言われれば、それは出来て居なさそうであると納得してもらえるだろう。
では、以下の海外風のアーティストも、出来てないと言われれば驚くのではなかろうか?
藤井風、椎名林檎(東京事変)、Char、上原ひろみ、渡辺貞夫
実は上記のようなアーティストも、バックビートはできておらず、結局は「1・3のリズム」を主体としてバックビート風の「2・4」をパルス的に打ち込む(グルーヴしていない)奇妙な状態となっている。
後程検証していきたいのだが、バックビートの輸入に失敗した邦楽シーンはさらに、小室哲也のユーロビートサウンド~坂本龍一の脱グルーヴ化&デジタルサウンド~ゲームBGM(8bit)の登場~ボーカロイドとDTMの一般化、という流れを辿ったうえで、邦楽シーンの殆どのグルーヴは前述のデジタルグルーヴに陥った。
「陥った」という表現がふさわしく、これは類まれなる研鑽によってデジタルグルーヴと成ったわけでなく、むしろ怠惰と無思考による帰結である。
計算可能な数的要素の膨張
King gnuがみずからの作品のトラック数の膨大さを番組で語り、少しバズっていたのは記憶に新しい。
また、アレンジメントも専門家化されており、アレンジを外注することで非常にゴージャスなアレンジがされた作品へとアップグレードされることも周知のとおりである。
例えば、Mrs.Green Appleのヒットソングの編曲者欄を見れば、メンバーの誰でもない名称が書いてある。
これらのアレンジ手法はトラック数が多いこと意外にも、音数が多くてスペースが少ない点も目に付く。
おまけにコード進行もだんだんと複雑化してきている。
これは菅野よう子~MONACAの流れを組む、アニソン系作曲家の影響にあると考えられる。(これはまた別途)
さて、これらの現象をひとことでいえば、「理論的あるいは数学的な領域の膨張」ということができる。音数、トラック数、コード数、コードのバリエーション、これらのような数にしやすい計算可能な要素ばかりを拡張しつづけたのが、邦楽シーンなのである。
邦楽の二次元化
これまでに述べた二つの軸、「デジタルグルーヴ化」「計算可能な数的要素の膨張」は実は繋がっているのだ。
バックビートの輸入に失敗してしまった邦楽シーンは、グルーヴに対する自信を失った。黒人どころか白人もマスターしたあのグルーヴは真似できなかった。
当初は日本には日本のビートがあるとして日本的なビートによって解釈し、昭和歌謡を創り上げた。
しかし、海外の凄さを知る者たちは、そんなことではコンプレックスは解消できない。
デジタルツールの開発が進むなか、それに目をつけた邦楽アーティストがいた。
彼らはそれらを取り入れて、”あえて”グルーヴのない作品を作り、時代背景も手伝ってそれが(ブレードランナーで示されるような)近未来としてのSF日本のイメージとして、自尊心を取り戻しつつ推し進めることができた。
実際に海外からもユーモラスなスタイルとして評価もされた。
ここではまだ、上記のような「海外コンプレックス~あえてのノングルーヴ」という背景の理解が存在した。
しかし、それも世代が進むことでそのような背景は継承されず、ただたんにグルーヴがないだけのデジタルサウンドが主流となっていく。
しかも、その邦楽シーンの残党たちのなかでは、能力のある人々は実はデジタルサウンド派に圧倒的な部があった。(具体的には菅野よう子やMONACAなど)
そうすることで、デジタルサウンド派の影響が、ますます他(中途半端に昭和歌謡的なグルーヴの人々)を駆逐していくこととなった。
デジタルサウンド派からすれば、音楽の次元は数学的かつ理論的な次元だけである。
そこにはグルーヴから始まる深い次元が存在していないので、それを三次元とするならば一次元少ない、いわば二次元的であると言える。
そうなってくると、いったいこれ以上何をやることがあるのか?作曲家や編曲家は一体何を頑張ればよいのだろうか?
答えは、二次元的な音楽性において数学的・理論的な要素を、ひたすら拡張することである。
だから、現代の邦楽はとにかくトラック数・音数・コード数・コードの複雑さなどが多い。おまけにテンポまで速い。
テンポが速いこともグルーヴが存在していないことを非常に裏付ける。
グルーヴがあれば遅いテンポでもエキサイティングな音楽が展開可能だが、ないのであればテンポを上げるという方法に頼らざるを得なくなる。
まとめれば、現在の邦楽とは、グルーヴという次元を理解できずに、それゆえ次元のひとつ少ない二次元的な限定的解釈のもと数学的論理的要素を拡張することしかできなくなった、その成れの果てなのである。
Better Days Ahead / Pat Metheny分析
今回はPat Methenyの名曲『Better Days Ahead』を分析してみたい。
1989年発表の『Letter from Hom』に収録されている作品。
このアルバムはグラミー賞を受賞しており、初心者にもオススメできる名盤だ。
とりあえずオススメのライブ音源を聞いておこう。
Better Days Ahead - 1989年のモントリオールでのテイク
不思議なようでキャッチーなところにしっかり着陸するテーマのセンス、メセニーの相変わらずの絶妙なタイム感、ラテンっぽいリズムと民族感、色彩豊かなハーモニー、良く出来ている。
Lyleのソロが非常に心地よく、この素晴らしいコード進行を見事に歌いながら駆け抜けていく。
メセニーのソロはまた打って変わってフュージョンらしいもので、コントラストを楽しめる。
最後のテーマではボーカルが加わるのだが、これもまた心地よい。
……とまあ、いろいろ語りたいことがあるのだが、今回は分析が主なので、感想についてはこの程度で終えておこう。
とりあえず、分析したものが以下だ。(誤りや、筆者の主観もあるでご了承ください)

- 最終的なKeyはG♭メジャーだが、2回転調している。(BメジャーとDメジャーのキーが登場)
- 最終的に和声はトニックに解決しない(サブドミナントマイナーに到達)が、メロディ上はしっかりとトニックに落ち着く
- 一見複雑に見えるリハモーナイズされているポイントがいくつかある
では、もう少し詳しくみていこう。
1行目(1~4小節)

基本的にはDメジャーキー上のメロディラインと考えて問題ない。
ただし、和声的には1小節目だけBメジャーキーと考えるのが分かりやすい。
Dメジャーキーからみれば、Bメジャーキーは並行短調Bマイナーキーの同主調であり、よくある短三度間隔の転調である。
冒頭の原型はおそらく「F#m|B7|Em」というマイナーツーファイブであり、これはDメジャーキー上の「Ⅲ|Ⅵ7|Ⅱ」というメジャーキーの上で成立する一般的な進行だ。
これを代理などさせてリハモーナイズした結果、Bメジャーキーが理論的にはしっくりくるような和声になったと想像する。
F#mはドミナント化(おまけにSus化)させており、きちんと次はBMなので解決している。また、BMは逆にドミナントでなくなり、通常のメジャーセブンスコードになっている。
こうなってくると、これらはDメジャーキーの「Ⅲ|Ⅵ」よりも、Bメジャーキーの和声で「Ⅴ|Ⅰ」で捉えるのが素直だ。
他方で、メロディはBにメジャーキーのトニックはさほど感じられず、どちらかといえばDにトニックはある。
つまりトーナリティーの力強い働きにより、Dメジャーキー感が維持されたまま、異なるBメジャーキーの和声を使いつつ、それが反発せずに絶妙なハーモニーを作りだしている、という状態が冒頭部の真相であり、パット・メセニーのセンスがさっそく光っている。
続く「G/A」はASus4(9)で、上記の元ネタの「Em(Ⅱ)」に該当する部分をリハモーナイズしたものといえる。
ASus4は♭Ⅱではあるが、これはサブドミナントの代理コードなので、機能的には元ネタと同じ働きを持つ。
さらに、#Ⅳ7が現れるが、これはⅠ7の裏コードであり、Ⅳに解決するためのセカンダリードミナントである。
2行目(5~8小節)

「Ⅱ|Ⅲ|Ⅵ」とダイアトニックな進行が続いたかと思えば、「Am|D7|」からの「A♭M|D♭7」が登場する。
サイド・スリッピングと書いてあるが誤りで、ここで使われている技法は「Contiguous ii-V(コンティギュアス・ツーファイブ)」である。(どちらも同様にアウトサイド(理論を逸脱)な手法という意味では似ているが)
「Am|D7」とあからさまにツーファイブの形式を辿っており、次に解決すべき「GM」は見当たらない。Gメジャーキーの世界が展開されるのかと思えば、次に来るのは「A♭|D♭7|G♭」という元のツーファイブを♭させたもので、G♭に明確に解決しており、メロディラインも相まってG♭メジャーキーに転調している。
このように元のツーファイブをその形式のまま半音ずらすものがContiguous ii-Vであり、スタンダードにもよくみられるものだ。
3行目(9~12小節)

この辺りはセカンダリードミナントが連続する展開で、よくあるもので難しさはない。
4行目(13~16小節)

前半はサブドミナントとサブドミナントマイナーを繰り返している一般的な流れで、注目すべきは後半の「D♭m7|Cm7(♭5)|D♭/C♭」の方だ。
#Ⅳm(♭5)はⅠ裏(トライトーン)でトニックの代理だが、このハーフディミニッシュコードは長三度下のドミナントの代理の機能を持つ。
つまり、具体的にはA♭7の代理なので、D♭に解決するセカンダリードミナント。
では「D♭m7(Ⅴm)」という非ダイアトニックコードは何なんだということだが、#ⅣがⅠの裏(代理)なので、仮にここが#ⅣでなくてⅠ7だったと仮定すれば、ここは「Ⅴm|Ⅰ7|Ⅳ」の形式となるのでスッキリする。
これが実際にはⅤに解決するように変わり、さらにそこにアプローチするドミナントがⅤに解決するためのセカンダリードミナント(実際には代理)に変わり、結果Ⅴmが残っている状態である。(機能的にはサブドミナント代理)
5行目(17~20小節)

このセクションではF#のルートを固定して停滞させつつも、内声を変えていっている。
最後のF#sus(#5,♭9)は機能的にはサブドミナントマイナーであるものの(多分)Susでは珍しいテンションによって、絶妙な響きとなっている。
6・7行目(21~29小節)


終り方にはカラーが明確で、Ⅴからのサブドミナントマイナー。
非常にジャズ的な動きで、和声的にはトニックに解決していないものの、その上のメロディラインではⅠがしっかりとサウンドしており、トーナリティー上はトニックに解決しているのがポイントである。
和声にこわだりたくばメロディを目立たせよ
さて、和声に限定して分析してみたが、そもそも本作はメロディラインが個性的で凝っており、それでいてキャッチーである。
ゆえに和声もこだわることができ、そうしてもまったくメロディはキャッチーさをキープできるのだ。
うむり、大切だ…。
The Long And Winding Roadを聞き比べることの意義
ビートルズの名曲『The Long And Winding Road』の2種類のバージョンを聞き比べてほしい。(この他にもバージョンがあるのだが)
- The Long And Winding Road / Let It Be収録バージョン
- The Long And Winding Road / Naked収録バージョン
『The Long And Winding Road』はLet It Be収録のものが世間にリリースされた。(1970年)
これはプロデューサーのPhil Spectorが大胆に介入し、ビートルズ内でも賛否が激しく分かれた。
Phil Spectorの十八番の「Wall Of Sound」の手法でもって、オーケストラと合唱団をオーヴァーダビングされ、ゴージャスなバージョンとなっている。
ポール・マッカートニーは上記の不評を抱えており、かなりの年月を越えて『Let It Be... Naked』(2003年)としてアレンジ前のバージョンが収録されてリリースされることとなった。
Naked版が、Phil Spectorによるアレンジがされる前の素のバージョンである。
Wall Of Sound
当時、Phil Spectorはプロデューサーながらその手腕のため、作曲家や歌手よりも有名になっていた。
その中核となる手法が「Wall Of Sound」であり、この手法はBrian Wilson(Beach Boys)やBruce Springsteen、日本でも大瀧詠一や山下達郎に影響を与えている。
(EnyaのアレンジャーNicky Ryanも影響を受けていると聞き、そういえばEnyaも分析してみたいことを思い出した。)
Phil Spectorは60年代にこの手法を駆使してヒットを連発していく。
「Wall Of Sound」はよく「同じ音を重ね、音の壁のような分厚く迫力のあるサウンド」と言われるものである。
Phil Spectorは一つの塊としての音に拘ったため、必然的にモノラルサウンドになってくる。
- The Crystals - Da Doo Ron Ron
ハイテクになる現代録音
おさらいになるが、モノラル(単一)は1つのマイクで録音された音、あるいは1つのスピーカーで再生する方法であり、ステレオ(立体的)は複数のスピーカーによって立体感・臨場感が得られるように再生する方式である。
劇的な進化は60年代で、テープ/レコーダーがモノラル(1トラック)からステレオ(2トラック)、さらにそれが4トラック・8トラックと増えていき、70年代には32トラックにまで到達した。
1992年頃にMDが普及するとともにデジタル録音が主流となり、
加えて90年代後半のDAWの普及により、作曲がデジタル化・民主化・記号化され、ピッチ補正、間違った部分の違和感ない編集、後からの音色や歪などの加工などと無限にも思えるほど拡張され、完全にレコーディングは作曲工程の一部に過ぎなくなった。
さて、この問題については別途言及するとして、ここで注目しておきたいのは「音数の肥大化」についてである。
この向きによって考えられるのは「とりあえずトラック数が多ければ凄いんじゃね」というパターンが一つの極としてありえるだろう。
実際にKing Gnuがトラック数が最低でも70、300いったりもすることについて言及し、話題になったりもした。
勿論、凡人がどれだけトラック数や音数を増やしたところで、3つの声部だけで作られているはずのビル・エヴァンス・トリオの足元にも及ぶことはない。
サウンドはそんな単純でヌルいものではないからだ。(実際、熟練の音楽家は空間を上手く使う。)
結論は…保留
Wall Of Soundの作品を聴いてみて超マルチトラックな現代の作品と比べて退屈と感じるかといえば、全くそうでない。
むしろ骨董品を楽しむような絶妙な距離感、ミニチュア感があり、非常に面白い。
もっとも例に挙げた『The Long And Winding Road』はどのバージョンも完璧だとは思っていないので、どのバージョンが一番いいとも断言できないが。
今回の思索はこれだけでは終わりそうにないので、また続くこととなる。
全盛期B'zについて:前編
わたしは幼少期はB'zの初期~全盛期時代にハマっていた時期がある。
今から見返しても、このころのB'zには注目すべき原石が散りばめられており、改めてまとめておきたいと思った。
言うまでもなくB'zは日本を代表するアーティストであり、ロックユニットである。
1988年にデビューしてから現在に至るまで日本のトップシーンを走り続けている。
そういった一般論はわたしがわざわざ言及するまでもなく、Wikiなどでおさらいすればよいだろう。
B'zは確かに邦ロックブームの中にあり、小室哲也の流れを組むものであるが、B'zはそれらすべてと一線を画す別格のものであるというのがわたしの見方である。
ここでいう全盛期のB'zとは、5th『In The Life』~8th『LOOSE』『Friends Ⅱ』までの期間とさせていただきたい。
この後も充分な活躍を見せるのだが、この辺りのB'zはちょうど発売するシングルが全て連続でミリオンヒットを達成するという常軌を逸する功績の期間にも概ね重なる。(まぁ、ここではB'zのセールスでなく価値的本質にのみ注目しているのでどうでもよいのだが)
B'zのどこが特別か?について少しづつ触れていこう。
まずサウンドの完成度が挙げられる。
このころのB'zのサウンドは、同時期の他アーティストと比べて圧巻で、それは松本の充分な仕事は勿論ながら、明石昌夫(Bass、アレンジャー)のアレンジメント能力と野村 昌之(レコーディング・エンジニア)のエンジニアリング能力に強く支えられている。
歌謡曲が根幹にありながら、ハードロックのワイルドさ、ユーロビートのきらめきが融合されており、哀愁とゴージャスさとダンサブルさを同時に味わえるサウンド、とでもいうべきか…。非常に贅沢なものである。
- 傷心(Friends Ⅱより)
松本のギターの存在も大きい。日本でよく目にする、入れ替え可能なとりあえずいるだけのギタリストとはまったく意味合いが違う。
海外のギターヒーローに影響を受けつつも、そのギターサウンドは独自の個性豊かなものであり、綺麗でハッキリした奏法とエレクトリックな音造りはすぐに松本のそれとわかる。
そしてグルーヴィーすぎずポップスの枠に収まるような絶妙な感じだが、存在力がしっかりと強力なため、巷のギターサウンドとは一線を画すものとなっている。
さらに加えて稲葉の圧倒的な歌唱が挙げられる。
メロディアスさと哀愁とワイルドさを兼ね備えたハスキーボイス、そして恐るべき倍音、ブルースを意識したフォール。
稲葉の声がサウンドに与える影響も素晴らしく、声部を一つ足しただけでは済まないようなオーケストレーションが加わるのだ。
(松本による)作曲のほうでも、メロディの択の素晴らしさは見過ごせない。
サビこそB'z節といえるようなパターンが予想できるのだが、ほとんどの場合、高品質なのはAメロとBメロである。
これの圧倒的たるゆえんは、その引き出しが海外のロックアーティストに起因するからだと考える。(ゆえに、パクリ/オマージュ論争を呼んだりもした)
当時の多くのポップアーティストの引き出しは国内を中心としているなか、B'zはグローバルに優れた引き出しを持っていた。
そしてそれを歌謡曲的なテイストに落とし込むのが上手かったのだろう。
簡素ながらも以上が、B'z全盛期が同時期の他アーティストと比較にならぬほど突出している理由である。
次回は具体的なアルバムレビューを行いつつ、上記の事実をより詳細に紐解いていこう。
アルバムレビュー Rainbow / Rising(虹を翔る覇者)
リッチー・ブラックモア(Gt)、コージー・パウエル(Dr)、ロニー・ジェイムス・ディオ(Vo)というハードロックにおける伝説の3プレイヤーが中心となって構成された時代のRainbow、その2ndにして最高傑作アルバムが『Rising(虹を翔る覇者)』である。
HR/HMの歴史に燦然と輝く名盤であるが、HR/HMの代表的名盤のなかでは意外と目立たないが、それはこの高級感ゆえのことだろう。
ところで、この編成は「三頭政治」とも言われ、非常に個性的なカラーのグルーヴとサウンドを生み出した。
他のメンバーはジミー・ベイン(Bass)とトニー・カレイ(Key)であり、この一作で解雇されたもののかなり良い仕事をしている。
ハードロックの図式に則りながらも、中世ローマかなにかの魔女狩りが行われていそうな呪術的でダークファンタジーな世界観がサウンドとして表現されている。
これは、リッチーがDeep Purple時代から挑んできたハードロックとクラシックの融合の完成系でなかろうか。
Rising (1976)
- Tarot Woman
- Run with the Wolf
- Starstruck
- Do You Close Your Eyes
- Stargazer
- A Light in the Black
『Rising』はHR/HMが到達した一つの頂点であり、特に後のヘヴィメタルのサウンドにとって重要な影響を与えている。
余談だが、よく「HR/HM」と呼ばれるのは、HR(ハードロック)とヘヴィメタル(HM)の区別が難しいためである。
ハードロックに比べてヘヴィメタルはギターが2人の編成であることが多いこと、クラシックの要素が増え、ブルースの要素が減っていることなどが分かりやすい特徴ではあるものの、「どこから?」という区別に絶対のルールはない。
MetallicaやSlayerになってくると完全にヘヴィメタルであってハードロックではありえないと思えるが、RainbowやBlack Sabbathなんかはそんなにきっぱり分類できるものでない。
本作はハードロックがヘヴィメタルへと移り変わっていく、その転換点の作品であり、ここで示されたテーゼがヘヴィメタルというムーブメントに帰結していったのだと、その後の流れをみると思えてくる。
収録曲を見ていくと、上記の観点で重要な革新的名曲は「Tarot Woman」「Stargazer」「A Light in the Black」であり、いずれもハードロックとクラシックの融合という課題に立ち向かっている。
その間でバランスを整えるように、「Run with the Wolf」「Starstruck」「Do You Close Your Eyes」というアメリカのビルボードチャートでも通用しそうなキャッチーなハードロックナンバーが並ぶ。
- Tarot Woman
一般的にはRainbowといえば他の代表曲が挙がるだろうが、個人的にRainbow最強の名曲であり、ハードロックの名曲TOP10には必ず入る。
シンセによるイントロでダークファンタジーの世界観に引き込まれ、刻まれるギターのリズムと異国的なシンセの絡みが徐々に盛り立てる展開ですでに期待MAX。
その雰囲気のままミドルテンポのクールなリフが参入し、異国的シンセが絡みつつ、Dioの絶唱というに相応しいボーカルが乗っかる。
Aメロ~Bメロ~サビのすべてのメロディの選択が過不足のないまさに”完璧”であり、ハードロックなAメロ、スイートなポップセンスの光るBメロ、クラシカルなサビを違和感なく繋ぎとめ融合している。
- A Light in the Black
クラシカルなギターリフ、ダークな歌メロとコード、それらをひっさげ、どこか冷めたようなグルーヴで疾走するのがたまらないスピードチューン。
スピードチューンながら意外と8分以上もある長さでコンパクトでなく、冷めた温度感で前述の感じで進行していくのだが、中盤の間奏が非常にクール。
ディープパープルを思い起こさせるシンセソロ~メタルの定番のようなユニゾン~ブルージーなギターソロ~フレーズがクラシカルになっていくのとともにKeyも加わりバンドアンサンブルとなり、リフに戻る。
ターンアラウンドでまったく同じフィルとキメが入るのが効果的で、この間奏はひたすらトリップさせられる。
久しぶりに聞いてみるとこのサウンドは本当に凄い。
ハードロックは本作の影響もあってクラシック的になっていき、ヘヴィメタルとして脱ブルースされたジャンルへと変容していく。
ヘヴィメタルはそれはそれで素晴らしいのだが、結局はヘヴィメタルもこれ以上進化できなくなり頭うちとなっているように見える。
それはヘヴィメタルがクラシック化し、ブルースの持つ絶妙なグルーヴとフィールを失い、記号論的な解釈に閉じ込められたからであるとみている。
他方で本作は、ヘヴィメタル的なロックとクラシックの融合と同時に、ブルースを基調としたロックンロールのグルーヴをどちらも持っているので、絶妙なバランスの素晴らしいサウンドとなっているのだ。
もし、ロックの進化の過程でもっとブルースを失わなかったら、今ごろはどうなっていただろうか?
こんなふうにロックの歴史の進化についてのifを考えたくなってしまう、素晴らしい名盤だ。
スタンダード分析 Cantaloupe Island
黒本Ⅰ収録のスタンダード『Cantaloupe Island』を取り上げてみたい。
巨匠Herbie Hancockに作曲で、ブルースっぽいようなそうでないような、ブルースをモードジャズ化したようなモダンな作品である。
同氏の『Watermelon Man』にもかなり類似しており、そのマイナー版という雰囲気だ。
限定された素材だけで(たぶん)当時としては新しいことをやっている革命的な構造を持っており、さすがの天才性に頷ける。
- ノーマルな分析(Key:Fm)

普通にFmがトニック感があるのでFmとして捉えるのがノーマルだろう。
このうえで以下のようにスケール/モードを想定してアドリブを展開するのがよさそう。
Fm7: F Dorian
D♭7: D♭ Lydian ♭7th
Dm: D Dorian
ところが、終盤に登場するDm(文献によってはDm7)がどのようにとらえてよいかやっかいなコードである。
構成音的にⅠMajorに近く、絶妙な響きを持っている。Ⅰ(Fm7)になんとなく着地したがっているような響きに思えなくもない。
- Cmでとらえなおした分析(Key:Cm)

実践的には役に立たないがこのようにとらえると和声的にはしっくりくる。
Fmキーだとなんだこれ?だった和声が、別のKeyで捉えるとスマートにとらえなおせるという事実は面白い発見である。
- 名演 Cantaloupe Island(Live, 1990)
Herbie Hancock, Pat Metheny, Jack Dejohnette, Dave Hollandという泣く子も黙るほどの最高峰の豪華編成。
パットメセニーとディジョネットが一緒にデパートで買ったペアルックのシャツを着ている(妄想)。
特にハービーのコンテンポラリーに片足をつっこんでいそうなアドリブが素晴らしい。
スペースをしっかり確保しつつ、エモく斬新なフレージングの羅列で難解にもみえるが、微かに展開が映し出されるようなバランス感覚には完敗だ。
タイム、ニュアンス、ハーモニー、フレージング、発想、展開力、すべてが鬼。
それを引き継ぐメセニーは、明確にモティーフを展開し分かりやすく展開してくれており、こちらも本当に素晴らしくハービーにも負けず劣らずだ。
キャッチーさ、モーダルさ、それらを適切に即席で組み合わせる手際のよさ、本当になんなんだこの次元…。