メジャーブルースのコード進行について

本稿ではメジャーブルースのコード進行について、素人ながら考察してみたい。

ブルースとは何ぞや?という膨大な話はここではせず、あくまでメジャーブルースのコード進行にだけフォーカスしたいのだが、次のことくらいはおさえておきたい。

  • ブルースはそれまでの白人音楽理論感では考えられないような構造を持つ
  • (奴隷階級だった黒人たちの価値観に依拠したような)喜なのか哀なのか断定できないような調性感(メジャーなのか?マイナーなのか?あるいはメジャーの下部構造にマイナーの上部構造を同時に持ったり)
  • 通常想定されるようなドミナントモーションによる作曲と違い、ドミナントを解決しなかったりする(しかも本当にドミナントなのかも怪しいような曖昧さで、7thが鳴っていなかったりもする)

その辺りは、崇拝する菊池先生の数々の名著に詳しい。(さらにブルースだけに絞った専門書もあるようだ)

www.kinokuniya.co.jp

 

メジャーブルースの基本的な進行は「12小節ブルース」などとも呼ばれ、基本系はいわゆるスリーコード(Ⅰ・Ⅳ・Ⅴ)によって構成されている。

まずは最も基本的な「12小節ブルース」の進行は以下の通りである。

(なお、以後登場するコード譜のKeyは様々なのでディグリーを参照のうえ、普遍化して理解いただきたい)

 

  • メジャーブルース進行(Key: C Major)

 

ⅠやⅣがドミナント7となっているのが特徴であり、これはセカンダリドミナントではない。というかⅤ7も通常のトーナリティーにおけるドミナント7ではないと思われる(要確認)。

2小節目は実際にはⅣ7となっていることが多く、最初の4小節をすべてⅠ7にするとより停滞感が演出できる。

5~6小節目のⅣ7ではようやく動きが生まれるように感じられ、9~11小節目の流れは白人世界では考えられない「Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ」という動きである。

白人社会的にはそんなことをするならば普通「Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ」にするだろうと、理論的にはそうであろうと、受け入れがたかったに違いない。

最後の小節では繰り返すならばターンアラウンドとしてⅤにしておくのが分かりやすい。

 

オールドブルースのスタイルが上記を基礎とするならば、

モダンブルースというかジャズ界ではブルースはどのように進化し享受されているかを見ていきたい。

まずは最もシンプルなジャズブルースと思われるDuke Ellingtonのこちらをみてみよう。

  • C Jam Bluse (Key: C Major)

youtu.be

 

前半はブルース進行に準拠しているが、後半に白人の調性の世界が融合している。

クライマックスである9~10小節をダイアトニックのⅡⅤにし、そのうえでその前の8小節をⅡにアプローチするセカンダリドミナント(Ⅵ7)に置き換えている。(またターンアラウンドである12小節も同様)

 

続いてチャーリー・パーカーのブルースを見てみよう。

  • Billie's Bounce (Key: F Major)

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こちらもKeyは違うが『C Jam Bluse』とほぼ同様の(ブルース基本系に対する)リハモが行われている。

9小節目を通常のⅡに換え、さらにそこにアプローチするためにⅥ7を仕掛け、それをさらにⅡⅤ(Key:G)化している。

メロディが印象的なキメで出来ており、パーカーの天才性が伺える素晴らしい名曲だ。

 

 

ここまでみてきたように、スイング期~ビバップ期のジャズブルースの基本的な手法は、オールドブルースの無秩序な世界観に、白人のクラシック上がりのトーナリティーの世界観が融合するものだといえる。

さらに、モダン期ではどんな発展があるのかの一例も少しみていこう。

 

ジョン・コルトレーン作のブルースをみてみよう。

  • Bessie's Blues (Key: E♭ Major)

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コルトレーンのこのブルースはコード進行はオールドブルースのままである。

代わりにメロディラインが複雑で凝っており、骨格をシンプルに固定したうえでその上でどれだけ発展できるかを模索するコルトレーンらしい試みと、勝手に思っている。
(このようなコルトレーンの考え方についてはフィリップ・ストレンジ氏の著作が詳しい)

 

セロニアス・モンクのブルースはどうなっているだろうか。

  • Blue Monk (Key: B♭ Major)

 

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Ⅰがドミナントになっていないのが特徴的で、加えて6小節目にはパッシングディミッシュがある。

10小節はⅤをそのまま継続しており、基本系以上にシンプルになっているかもしれない。

これだけシンプルなコード進行であるにも関わらず、メロディラインはすぐにモンクと分かるコミカルなカラーを持っており、抜群のセンスを感じさせる。

 

 

一般人が”聞けるようになる”ための登竜門としてブルースはよい薬でもある。

なぜならば、ブルースはコード進行とそのうえで使えるスケールが限定的になるので、プレイヤーや作品ごとの違いをその限定的条件のなかで、聞き分けられないと楽しめないからだ。

必然的にタイムとフィール(ニュアンス)と捉えるように訓練されるのである。(一般人が弱いのがそこ)

 

また、現代のポピュラージャンルは、ほとんどブルースの影響化にあるにも関わらず、ブルースに思いを馳せる人は非常に少ない。

そのことへの感謝の念も抱きつつ、たまにはブルースに思いを馳せる…。

そんな機会も必要だろう。